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身体はその人そのもの、そして治療目標とその結果の価値観
2018.05.14
リハビリの現場の様子を
ブログで紹介しています。
リハビリのことが
少しでも伝わると嬉しいです。
5月14日
昨日の雨とは変わって、栄も良いお天気です。
風が強いので、みなさん気を付けましょう。
今日は、その人の身体だということと、治療目標とその結果の価値観について
投稿させていただきたいと思います。
みなさんはリハビリにどこまで求めますでしょうか?
本当に人それぞれかと思います。
障害受容やプラトーという言葉も世の中ありますが、、、、
今日はそこは置いといて
違う観点から投稿します。
私の経験ですが、
発症されてから10年以上
本人様も何年経ったかもあやふやになっている
そんな人がリハビリで
指が「ピクッ」と動きました。
全く10年動かなかった手です。
反射でもなく
自分の意思で始めて動きました。
その人が涙されたこと
今でも忘れません。
発症から10年以上
指がわずかに動いたこと
きっとその価値は
その人それぞれかと思います。
指がピクッと動いたからと言って
何かを持てるわけではありません。
何かを抑えられるわけでもありません。
こけそうになったとき手がでるわけでもありません。
けど、
その方にとっては
涙がでるくらい価値があったようです。
私の大好きな柏木正好先生の柏塾ノートの一部を引用させていただきます。
「私が信条としていることは、「身体はその人そのもの」ということです。事故か何かで切断しまったのであれば、いつかは気持ちの整理がつくかもしれませんが、身体の一部として存在していながらも、しかもなんら自分の意思が通じないという状態の苛立ちは想像に堅くありません。厳つい顔の威厳のある紳士が、麻痺した指のほんのわずかに動き始めたのを感じて、静かに、止まらない涙を抑えていた姿を思い出します。
誰しもがそうでした。何かに使える手になるか否かの問題ではなくて、自分の身体として感じ取れる、そのことに十分な価値があるのだろうと思います。他人には推し量れない価値です。
勿論、私は治療者として、ここに述べてきたように、ご本人の別の立場から神経系に起こっていることの意味を考察します。感慨に浸っている余裕などはありませんから、その先の対処に目を向けざるを得ません。
しかし、治療目標とその結果が持っている価値は、私たちの危うい治療方針の枠をはるかに超えたものであるということを心にとどめておきたいと思います。」
と書かれております。
今の回復期のリハビリでは、
日常生活に点数をつけます。
自立だから〇点のように。
この点数を上げることが
回復期のリハビリの仕事です。
ただ〇点でも
中身がことなります。
麻痺した手でできるズボンの上げ下げ
麻痺してない手でできたズボンの上げ下げ
同じ点数でも中身は全く違います。
介助量の点数化が悪いわけではありません、、、
ただ、「身体はその人そのもの」
介助量の点数化は他人がつけたもの。
主観は置き去りになりやすいです。
ただ現場では置き去りにはできません。
何よりも患者様自身が置き去りにできないはずです。
それを周囲が置き去りにしないようしてあげてください。
どこまで求めるか
きっと本人様の気持ちもありますが
出会ったセラピスト
一番身近なご家族様
様々な気持ちと環境で
治療目標は決まってくるかと思います。
客観的な点数も大切ですが、
本人様の気持ち、目標を大切にしてみましょう。
「身体はその人そのもの」です。
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