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- ”動く”より”動こうとした”時が尊い日もある -拷問の本質-
”動く”より”動こうとした”時が尊い日もある -拷問の本質-
2025.06.28
リハビリの現場の様子を
ブログで紹介しています。
リハビリのことが
少しでも伝わると嬉しいです。

今回のブログのタイトルって
もしかしたら、
すっごい苛立ちを感じる人も
いるかもしれないわね。
”動く”ことの方が
よっぽど大事でしょ。
って声が聞こえてくるもの。
当事者からもセラピストからも。
リハビリの現場では
動かない手なら
歩くのに邪魔だから
吊っておこう
なんて光景には未だに出会うわ。
それらを目の当りにしたり、
自分自身で
そのように感じてしまった方は
”動く”ことに対して
価値を感じていると思うのよね。
それはそれで大事な価値よね。
ただ、”動けた”って結果は
もちろん大事だけど、
それ以上にその過程って
とても大切なのよね。
何度も挑戦して
諦めたその手や足を
見放すのは自由よ。
だって
すごくしんどい経験したと
思うもの。
あたしはそんな方々に
「向き合え」とは
言えないわ。
大の大人が、
向き合ったうえで
それを選んだんだものね。
でもね。
何度も挑戦して
何度も失敗して
何度も諦めて、
それでも
「何かを変えたい」と思った一瞬って
”何かが始まる兆し”だし、
とてもあなたらしくて
あたしは好きよ。
できない苦痛/拷問の本質
昔読んだ本で、
拷問の本質なるものが
載っていたのよ。
そこには、
最も残酷で苦痛の大きな拷問は
「何をやっても無駄」
を経験させられ続けること
と書いてあったわ。
俗にいう
学習性無力感よ。
まあ、
昔のほんとヒドイ実験なんだけど。
逃げられない電気ショックを
犬たちに繰り返し行うの。
初めは電気の流れない場所を探したり、
色々な行動がみられたのだけど、
繰り返されるうちに、
逃げ道を与えても動かなくなったの。
何をやっても無駄だから、
抵抗することすら
やめたのよ。
人間も同じなのよね。
何度も”できない”を経験すると、
”しよう”とする気持ちが削がれる。
気持ちだって
何度も削がれたら、
ぺらっぺらになっちゃう。
これは拷問なのよ。
自分の気持ちくらい、
自由にしたいのに、
それすら
奪われていくのだもの。
心の自由が奪われる拷問は
何よりも生き地獄なの。
でも人って、とんでもなく
愛すべきバカなのよ。
それでも不思議と
人には“希望を感じ取る脳”
がちゃんと備わってるの。
苦しくて
どうにもならなくて、
気力も起きないとき、
そんな力なんて無い
って感じるでしょう。
人には
希望を見出す力があるの。
ただその力が
眠ってしまっているだけなのよ。
”希望を見出す力”と脳
人が”動いてみようかしら”なんてする時に
まず活性化するのは
側坐核という脳の部位なの。
ここは、行動が完了していなくても
”やってみたろかな”
”やったらおもろそうやんけ”
という予感だけで
ドパミンが分泌されるのよ。
つまり、動こうとしたときには
脳って勝手に
”希望”を見出しているの。
んね。
愛すべきバカでしょう。
そして、
本物の愛すべきバカな時期って
皆さんご経験あるのよ。
皆さんご存知、
”反抗期”よ。
そんな“希望を見出す力”が、
大きく育つ時期なの。
それが、
誰しも経験したことのある
反抗期。
反抗期にはね、
さっき話した側坐核と
線条体というのが割と急速に
発達する時期なのよ。
線条体というのは、
動機付けや運動意欲の中核となるの。
だから、愛すべきバカたちは
窓ガラス割ったり、
人ぶん殴ったり、
親や先生に反抗したり、
汚い言葉を使ったり、
自らの行動によって得た”揺れ”の中を
溺れたり、泳いだり、
しがみ付いたり、裏切られたりして、
”生を活かす”ことを学ぶのよね。
だから、反抗期は
親にとっては地獄だけど、
子どもにとっては成長に欠かせない
とても大切な時期なのよね。
一人じゃ何もできない
と
一人でも何かできる
そして責任を学ぶそんな時期よ。
もちろん、
反抗期がなかった人も
いるかもしれないわね。
それは“悪い”ことではないけれど、
時に揺れにくくなってしまう
のかもしれない。
そんな人ってもしかしたら
ちょっと何事にも無難かもね。
揺れないって“固定”なのよね。
安定の中には必ず揺らぎがあるわ。
あたしみたいに
最近揺れすぎて千鳥足で
擦り傷だらけの女が
いうのはちょっと説得力に
欠けるかもしれないけどさ。
大人になってからでも
自分で揺れを得ることはできるわ。
揺れることって大事よ。
揺れながらでも自分の軸
があると
また自分に還ってこれるの。
還って来れる自分/自分の在り方
人が揺れの中で、
自分の軸を探そうとするとき、
どこまでが“自分の選択”でいられるか、
問われる場面がある。
そんなことを考える時、
思い出す本があるの。
皆さんは『夜と霧』という本を
きっとご存じよね。
ナチスのアウスビッシュ収容所を
生き延びた精神科医の
フランクル氏の著書よ。
本の中で彼は
「人間の最後の自由は自分の在り方を選ぶ権利があること」
と言ったわ。
この言葉は、極限の状況の中でも
“人間であろうとした”人の言葉。
そして、今まさに
あなたが動けなくても、
苦しくても、
それでもどう在るか
を選び続けようとしてるなら
それもまた、
尊厳の一つじゃないかしら。
行動や発言がいかに制限されようとも、
「自分の在り方は自分で決める」の。
今まさに、
麻痺によって制限されようとも、
何度やっても結果が出ないと
苦しんでる片麻痺者もセラピストも、
自分の在り方や姿勢、態度は
自分で決めれるわ。
その苦しみって、
あなたが挑戦して希望を
抱き続けた証拠なの。
そして“自分の在り方”に
向き合った大切な時間なのよ。
火が灯るそばで雨除けとなる
あたし、だからこそ
そんな人たちに何かできないかって
踠いているの。
あたし自身、まだまだ成長過程な
セラピストだし、
教えることより、
学ぶことのほうが多いわ。
でもあたし、
生まれながらにして
ずっと反抗期で生き続けてるから、
自分の起こした揺れを
いまだに学び続けているの。
無難に生きるほうがいい時も
あるわよもちろん。
でも、
揺れながら苦悩した中で出した一歩って
すごくその人らしくて、
人間臭くて素敵じゃない。
結果が思うように出ても出なくても、
その一歩を出すと決めた決断と行為は
誰にも侵されない神聖な領域で、
あたしはとても尊敬するわ。
実行できなくても、
挑戦できなくても、
“あの日動こうとした”ことは
変えられない事実だし、
あの一瞬が再び灯るかもしれないなら、
あたしは喜んで雨除けとなるわ。
拷問の反対は意志を持ち続けること
諦めるよう学習させられることが拷問なら
希望を持ち続けることは最大の尊厳よ。
それがリハビリテーションじゃないかしらね。
アクションを起こせなくても
思いようにならない身体になっても
どうあり続けたいかを
模索する日々に
あたしは敬意を表するし、
そばにいたいって思うわ。
だからさ。
みんなで踠こうね。
てなことで!長くなりました!
こんな長いのに読んでくれてありがとう。
踠きたくなったら教えてね。
いつでも一緒に踠くわよ。
また書きます!!
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